コピーライターくりもとの【ひみつNOTE】

もうすぐ2012年、ガイア・アセンションまっただなかへ──。今の内・お熱い内に、手の内・胸の内を明かします。
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【ぼくは矛盾なひと】

矛盾が、にんげん。




「食料は、買うもの。」

それが、日本人の常識ですね。いまや食料は、つくるものではないのです。

食料をつくる仕事は、地道な仕事です。

ディオールやらヴィトンやらというブランドに身を飾った美女が、食料をつくる人のトラクターに同乗している姿を見かけたひとはいますか?

いませんよね!!

農家や畜産家の仕事というものは泥と汗にまみれ、着飾ってできる仕事でもありません。

そして、都市部で消費生活を送っているひとは、農家や畜産家の仕事というものに関心すらないんです。(みんなの食卓を支えているのは、農家や畜産家なのにね!)

関心がないことをいいことに、そんな食料の生産現場をめぐって、大きな大きな「はかりごと」が世界中でうごめいています。

きょうは、そのあたりのことを、くりえいとが、本業をうっちゃって、渾身の無料レポートでお送りします。



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■今だに「ぜいたくは素敵だ」!!

そこのきれいな「阿蘇出身の高菜」さん(仮名)!!

あなたも、ダイエットと称して、昼御飯をちょっと残すでしょう!!

それは、ぜいたくのひとつです。

しかし、日本人はいつまでも、そんなぜいたくなことをやっていて、いいのでしょうか。

先ごろ発表された日本の食料自給率(カロリーベース)は約40%。
つまり、日本人が口にする食料の6割が海外産です。それが98年以来続いています。

一方、食料消費はどうでしょうか。

「食料・農業・農村基本計画(2002年)」というレポートには、食品の廃棄・食べ残しなどが、毎日一食分に相当するというデータがあります。食品ロスは1日1人当たり700キロカロリーと、40年前の倍以上です。

ジャブジャブ輸入し、その3分の1くらいを食べ残したり、捨てているわけです。

でも、それが消費という構造です。そしてその消費に加担するのが、販売促進の「業」です。(それはいいとして。)

海外の自給状況はというと。フランス132%、米国125%、ドイツ96%、英国74%(2000年)と、日本とうってかわって非常に高い自給率です。

自給率の低下は、自給ルートの停止とともに即座に「兵糧攻め」にあうことを意味しています。ということは、国際紛争の勃発と共に、食品からハイパーインフレが起きます。(誰か支配者がハイパーインフレを仕掛けたいときに有効な前提となります。それはいいとして。)

畜産用の原料である飼料については、海外依存体質はもっとひどいです。

平成11年度には、配合・混合飼料は国内で約2,349万トンが生産され、飼料原料は海外から約1,750万トンが輸入されています。

農水省生産局では、可消化養分総量ベース(ようわからんが食わせる中身とでも訳そうか)で濃厚飼料の自給率を算出します。それによると、純国産濃厚飼料自給率は約10%とされ、配合飼料原料のほとんどが輸入に頼っている状況にあります。

10%ですぜ!!旦那!!

パチンコの勝率じゃねーんだから。

ある御用環境学者が「地球は二倍働いている」といいました。御用学者ではあるが、言っていることは正しい。

現地球の性能では、世界人口の1/2しか養う能力がないというのです。

日本においても、国土の性能からすると、現人口の約1/2しか養う能力がないのではないでしょうか。

日本の人口は1億2700万人。国土は38万平方キロ。

鎖国で自給自足経済だった江戸時代は幕開けの人口が1600万、幕末でも3300万人でした。
1930年代から食い詰める国民が増え、日本は中国大陸や東南アジアに進出し、やがて太平洋戦争に至りましたが、その時の人口が7000万人。

こうなったら、ローマクラブじゃないが、人口を減らすしかないのか!!?

そのような、地球の限界に対して、食料生産性を極限まで上げようとする技術、それが「遺伝子組み換え」という神の技術です。

そして、神であるということは、悪い方の神、つまり「悪魔の技術」でもあります。


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■遺伝子組み換えの会社がスゴイ!!

「訴訟が怖くて名前出せない社」という会社の名前を聞いたひとはいますか?

誰も知らないでしょう。

「訴訟が怖くて名前出せない社」は、組み換え種子の特許権を最大限に活用して、大儲けする戦略を展開している会社です。遺伝子組み替え業界のガリバー企業です。

ビジネスモデルは、こうです。

1⇒遺伝子組み換え種子を農家に売ります。
2⇒一度買った農家には、自家採種や種子保存を禁じます。
(要するに成長した「種子」を翌年にもう一度使うことを許さない)
3⇒毎年確実に種子を買わせる契約を結ぶ
4⇒勝手に種子を採取して使用した農家には突然特許権侵害の脅しの手紙を送りつけ、賠償金をとる



すごいなぁ!!

これって、DVDのコピー禁止とおなじですね。子コピー、孫コピーを許さない!!という。

なぜ、こんなことができるようになったのか。

それは、遺伝子組み換えという神の領域に手を染めることができたからです。

遺伝子は情報ですから、DVDソフトのデジタル情報とおなじなわけです。

そればかりではありません。

「訴訟が怖くて名前出せない社」は除草剤もつくっており、その除草剤に対してだけ、耐性をもった農作物をつくることができるようになりました。

要するに「訴訟が怖くて名前出せない社」の種子なら、「訴訟が怖くて名前出せない社」の除草剤をまいても枯れないわけ。

アメリカやカナダの大規模農場、知ってますよね?

ヘリコプターで除草剤をまくような、超大規模農場です。

そんなところの雑草なんか、人力で刈り取れるわけがない。よって、除草剤をつかう。

それが「訴訟が怖くて名前出せない社」のものをつかうと、強烈に合理的なわけです。

ゆえに、生産者に対して支配力をもつ。それも法的拘束力を後ろ楯にした圧倒的なものです。

しかし、この「訴訟が怖くて名前出せない社」のビジネスモデルに対して異をとなえた人がいます。



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■歯向かう農民を成敗する!!

「訴訟が怖くて名前出せない社」は1999年、大豆農家を営むホーマン・マクファーリング(62歳)さんを訴えました。

マクファーリングさんは何をしたのか?

収穫した大豆の一部を取っておき、次のシーズンに種として植えた――つまり、大昔から続いてきた農業の慣行に従っただけなのです。

しかし「訴訟が怖くて名前出せない社」の種を取っておくことは、同社と農家が交わす契約の規定に違反するというのです。

「訴訟が怖くて名前出せない社」は1997年以降、147軒の農家と39社の農業関連企業を相手取り、同様の訴訟を全米25州で90件起こしているらしい。

同社は毎年、農家が同社の種を不正使用しているとの「情報」を500件ほど調査し、多くの場合、訴訟に持ち込む前に和解(賠償金ふんだくり)しているそうです。(私立探偵を雇い、農家同士の中傷から情報を得、密告方式[密告ホットライン開設]で情報を集めている。和解というのは、和解金をせしめることである。)



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■受けて立つ農民がいる!!

カナダの農民パーシー・シュマイザー氏。

巨大企業「訴訟が怖くて名前出せない社」に対抗して裁判闘争を行う勇気あるひとです。

しかし、その勇気は、多額の自己負担を必要とします。

弁護士費用。シュマイザー氏の場合、これまでに弁護士費用だけで2700万円がかかりました。

これまでの判例はどうでしょうか。

法廷にまで持ち込まれたケースはこれまでに5件。

法廷訴訟の結果、「訴訟が怖くて名前出せない社」に都合のいい判決が下っています。

米連邦最高裁判所は1980年、遺伝子組み換え生物に関する特許を認め、2001年に特許の適用範囲を遺伝子組み換え作物にも拡大。

また今年に入り、ワシントンDCの連邦控訴裁判所は、「訴訟が怖くて名前出せない社」のライセンスを明確に支持。

例えば、「訴訟が怖くて名前出せない社」にライセンス料を払わずに、ラウンドアップ・レディー大豆を栽培したとされた農民は、78万ドルの罰金刑に。

2001年、和解に応じたノースダコタ州の農業ロドニー・ネルソンさんは、「われわれは困難な戦いに直面している。それも勝ち目のない戦いだ」と語っています。

※参考サイト
http://www.yasudasetsuko.com/gmo/column/030728.htm

さて、パーシー・シュマイザー氏は、このほどカナダ最高裁での裁判で、僅差で敗訴しました。

同社の調査員が、シュマイザー氏の畑にバイオテクノロジー技術によって作り出されたカノーラ[食用油をとる菜種の一種]が生えているのを発見。料金を支払わずに、シュマイザー氏がこの作物の種子をとり、畑に蒔いたことが訴えられ、その判決がでたわけです。

遺伝子組み換えであろうがなかろうが、著作権法違反?みたいな農民の容疑は、断罪されてしかるべきです。

しかし、遺伝子は、となりの畑からミツバチが運んでくることもありえます。

また、遺伝子操作は、生命の技術です。

そもそも、生命の操作に対して、特許権や著作権?などの権利を主張できるのかどうか。

このことに対してみなさんはどう思われますか?

カナダ最高裁の判決以前に、米国ではすでに、植物への特許権が認められています。

しかし、このカナダの判例が他の諸国に前例を示すことになるのは確実です。

全米農民組合のテリー・ベーム副会長はこのようにコメントしました。

「(企業の)支配欲と、究極の強欲さが問題の根本にある。(中略)これからは、(判例が)抑圧の道具として使われることだろう。最高裁はまさに、数千年にわたって発達してきた種の全歴史を、組み替え遺伝子が不当に奪いとったと宣言しているのだ」と。

また、シュマイザー氏はこう述べました。

「いったい誰が生命の特許を取得できるだろうか? 種子にせよ、植物にせよ、動物などにせよ、誰が生命を所有しているというのだろう?こういったことが、私が個人として本当に気になっている大きな問題だ」。

それでも、シュマイザー氏は和解を拒否した結果、多額の賠償金負担を抱えています。2度の敗訴で、「訴訟が怖くて名前出せない社」への約2万ドルの支払いを命じられているのに加え、訴訟費用は23万ドルにものぼっているそうです。

そういえば、たしか、ネイティブインディアンは白人からの土地収奪に対して、こういいました。

「この土地は神から借りている。誰が所有権を主張できるだろうか」。

そして、生命の所有権!!というあらたな利権は、このバイオテクノロジーから生み出されたのです。

インディアンなら、誰も所有権なんて持たない!、と断言することでしょう。



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■禁断の手!!?株主になってみる。

それほどのやり手企業なら、ホリエモンよろしく株主になる手もあります。

すなわち、「訴訟が怖くて名前出せない社」の株を買うのです。

買いたいひとは、NYSEで会社を探して、株価を確認して、勝手に買ってください。

はっきりいって、時代の風を受けて、儲かるはずです。

「訴訟が怖くて名前出せない社」では600件を超えるバイオテクノロジー関連特許を有しています。

研究開発に5億ドル。
昨年は遺伝子組み換え種子で16億ドル以上の売上。

そして、「知的財産を尊重することが重要だとわれわれは確信している。われわれは、この技術にかなりの投資を行なってきた。人々がルールを守るようになり、われわれが投資の見返りを得られるよう望んでいる」と、「訴訟が怖くて名前出せない社」はコメントしています。

ここで、株主として、いいたいことを述べるのです。

英語力と、株主としての行動力は必要ですけど。。。


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■遺伝子技術の脅威を訴える映画

今年3月、カリフォルニア州メンドシノ郡を拠点に食の安全を求めて活動している草の根の運動が、画期的勝利を手に入れました。

遺伝子操作を施した作物の栽培や家畜の飼育を禁止する『条例H』を可決に導いたのです。

そして、『ザ・フューチャー・オブ・フード』というドキュメンタリー映画で、遺伝子操作を施した作物の課題について告発しました。

監督、脚本家、共同製作者デボラ・クーンズ・ガルシア氏は、ドキュメンタリー映像と、農家や農学の専門家へのインタビューを組み合わせて、遺伝子組み換え食品がわれわれの食の安全を脅かしていることを表現。

同作品によると、遺伝子組み換え作物は過去10年足らずのうちに、われわれの食糧供給を汚染し、何千年もかけて培われてきた耕作法をむしばみつつあるといいいます。

この映画は、『華氏911』[マイケル・ムーア監督作品。2004年8月日本公開]のような働きをする作品だといいます。



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■FDAによる安全性検査は、なし。

アメリカのFDAは米国食品医薬品庁といって、いわば国家の医療食品分野の規制認可をつかさどるお役所です。

FDAは、現在、遺伝子組み換え食品の安全検査を行なっていません。

1992年に成立した連邦法は、遺伝子組み換え食品を他の食品と同じと見なし、FDAによる検査や認可を義務付けていないのです。

バイオテクノロジー企業が遺伝子組み換え食品を発売する場合には、安全検査の結果をFDAに提出して確認の文書をもらうだけでことたります。

FDAは企業の提出文書をそのまま信頼しているわけです。

たとえば、FDAは「訴訟が怖くて名前出せない社」が2002年2月に提出した新たな遺伝子組み換えトウモロコシの検査結果に対し、次のような文書を送っています。

「「訴訟が怖くて名前出せない社」の安全検査と栄養検査の結果に基づき、これら新種由来のトウモロコシは現在販売されているトウモロコシと比べて、組成や安全性などのデータに大差がなく、当該遺伝子組み換えトウモロコシには発売前にFDAの検査や認可を必要とする問題はないと「訴訟が怖くて名前出せない社」が結論付けたことを、FDAは了承している」

これは、なにを物語っているのでしょうか。

国家権力体が遺伝子組み替え業界に対して、暗黙のうちに認可をしているということではないでしょうか。

では、なぜ、国家権力体はそのように、遺伝子組み替えという人類がかつて経験したことのないテクノロジーに対して、あえて、規制を発動しないのでしょうか。

それは、遺伝子組み替え業界の特殊な姻戚関係にあるとみる見方があります。



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■科学者は、なにをすべきか。

遺伝子技術はものすごく多額の先行投資が必要な技術です。

このような先行投資を必要とした基幹技術には、石油化学、核開発技術などがありました。

そしていま、バイオテクノロジー(遺伝子操作技術)もまた、多額の投資を経て、いまや刈り取りの時期にさしかかっています。

先行投資を支えたのは、いったい誰でしょうか?

余裕のある世界的な財源とは?

それは、多国籍化学農薬企業です。

そして、国家の政策を決めるのは?

裁判を支配しているものは?

なんとも、できすぎた図式(姻戚関係)が浮かび上がって参ります。

※詳しくはみなさんで調査してみてください。

これに対して、科学者はなぜだんまりを決め込んでいるのか。

科学者は、専門知識に詳しいがゆえに、新しいテクノロジーの普及について警鐘を鳴らす使命があるのではないでしょうか。

核開発の平和利用技術はなぜか先進国は手を引いていますが、あまりにも管理運用が困難だからというのがスリーマイルやチェルノブイルなどで実証されました。

しかし、バイオテクノロジーの利用については、一部の憂慮する科学者の発言がありますが、商業的正当性の前にかき消され、その潜在的な危険性について熟慮されたとはいえません。

大きな事故が起きないと、科学者は気づかないのでしょうか。

科学者の誠意ある提言に耳を傾けたいものです。

※参考:科学者サイト
http://www2.odn.ne.jp/~cdu37690/index.htm
遺伝子組み換え情報室
http://www2.odn.ne.jp/~cdu37690/monsantonokigyouhimitu.htm



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■でも、結局のところ、

ぼくら自身が「訴訟が怖くて名前出せない社」を望んでいるのではないかな。


ぼくは、この渾身のリポートを書きながら、なんだか泣きそうな気分がしています。

どうしようもない、無力さにため息が出てしまいます。

なぜなら、ぼくらは、「より安く、よりおいしい食品を食べたい!!」

グルメ番組も、よだれを垂らして観ていますよね!!

ぴあのグルメ本を買って、どこでなに食べよう?なんて相談しますよね!!

スーパーの食品売り場で、よりでかい、よりおいしそうな、より安い食物を選んで買いますよね!!

有機無農薬でつくられたものがいいのはわかっているけれど、いつもいつも有機無農薬を買っていたら、家計簿赤字ですよね!!

遺伝子組み替え食品は使ってません、なんて表示があるけれど、ほんとうのところ、どうだか知れたもんじゃない、となかばあきらめ、なかば開き直って、食品を買っていませんか?

遺伝子組み替え食品はヤバそうだけど、もし、世界的な気象異変が起きて食料不足になったとしたら、遺伝子組み替えによる技術で、たとえば乾燥に強いとか、日照が少なくても糖度が高いだとか、そんな高性能な食品が安価で提供されれば、我々は買わざるを得ないですよね。

実際、ぼくらは、自給率40%のなかで、海外から素性の知れないものを60%も食べています。

もう、すでに、ぼくらは「訴訟が怖くて名前出せない社」の恩恵を受けているかもしれないし、これからの地球的人口増加時代に食料の安定供給を求めるなら、ある種、遺伝子操作というテクノロジーを認めざるを得ないところにいるわけです。

そして、つくる側の論理も大切にしなければなりません。

農家は、「より安く、ラクに作物を出荷したい!!」のです。

農家には、若い後継者が少なくなっています。

手入れの負担が軽くなるのにこしたことはありません。

大規模農場ならなおさらのことでしょう。

なにより、食料の自給を考えると、日本の国土耕地面積に対して成果割合の高い品種を創造し、育成しなければならないでしょう。

もちろん、消費者はあいかわらず、キレイで見栄えのいい食品を求めます。

そのような需要構造が何も変わらないのに、われわれは「訴訟が怖くて名前出せない社」のことを批判なんてできないのです。

いいですか、みなさん。

我々は、実際にこのような、「より安く、よりおいしい食品を食べたい!!」というニーズをもっているわけです。

欲求なのです。

口先の理想論、批判のための批判、ではなく。

ぼくらは、じぶんたちのやっていることの馬鹿馬鹿しさを知った上で、認識を新たにし、行動をとるべきです。

「より安く、よりおいしい食品を食べたい!!」

これに代わる、行動の基準はあるのでしょうか。



うちの四国の実家の畑では、我が家で消費できる程度の青菜がとれます。

夏休みに帰省したときは、それを食べます。

はっきりいって、噛み応えがちがい、シャリシャリしています。

広がる味わいも、太陽の味がします。

これが、大地の味なんだと。

それが食生活の理想です。

しかし、大阪では、こうはいきません。

あなたの街でも、こうはいかないでしょう。

日本の都市ではほとんどが、こうはいかない。


どうすればいいのでしょうか。



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■矛盾を知る。矛盾を生きる。

むかし、経団連の土光会長が、朝御飯にメザシを焼いたものを食べてるって、週刊誌のグラビアに出ていました。

経団連のトップですよ!!

もっと豪華な食事でないと釣り合いがとれません。

サザエさんちの朝御飯じゃないんだから。

しかし、土光さんのように、「足るを知る」というのは、たいせつな行動指針かもしれません。

また、節約する、切り詰めてみる、もったいない精神で生きる、というのも、今までになく必要となる概念だとおもいます。

グッチだ、クレージュだ、ヴェルサーチだって、そういうバブリーな価値基準がダサくなる、その時代の分水嶺に、いま、ぼくらはさしかかっているようにおもいます。

しかし、その反面、ぼくらはいまだにGDP、景気の拡大という幻想を追い、その幻想に付き合わされています。

日銀が景気判断を上向きにしましたね。

そして、日経平均株価が上がった。

それが、うれしい!!

企業も明るい。消費も堅調。石油の値上がりはすごく重荷だけど。まぁ、総じて、いいんじゃないか。

そのように、いまだに経済的な成長拡大というものに最大の価値を置いている。

それが、ぼくらの精神構造です。

だって、いくら消費者運動、環境運動、福祉運動をやっている活動家のあなたでも、ボーナスが増えるとうれしいでしょう。

うれしいんです。

収入が増える、自分が認められる、会社が認められる、それがうれしいんです。

その、うれしさの延長線が、万人の福祉と対峙する、地球環境の現実と衝突する、それがこの時代(今)なんです。

矛盾の時代。人間が自己矛盾の生き物であるということを思い知らされる時代。

だけどね、ぼくなんかも、自己矛盾の生き物ですから、それはそれで仕方ない。

受け止めようと。

自己矛盾を批判したり拒否したりできないのなら、それを受容しようと。

人間というものは、エゴ=欲求ばかりを増大させてきたよね。

ぼくもそうだし。あなたもそうだし。みんなそうだよね。

でも、それじゃあ、まずいよね。

どうしよう。

どうしたらいいんだろう。

まずは、じぶんを知ることにしよう。

遠い遠いアメリカの「訴訟が怖くて名前出せない社」のことを調べただけでも、外国のどうでもいい話じゃないってことがわかった。

ぼくらひとりひとりの矛盾につながる、人間存在のすごくエゴな部分を表現しているんだってことがわかった。

そう、「訴訟が怖くて名前出せない社」も、世界の支配者も、みんなぼくらの集合的表現なんじゃないだろうか?

じつは、ぼくらの集合無意識は、エゴを増大させて、「訴訟が怖くて名前出せない社」という幻想を生んだんじゃないだろうか?

そんなふうにも思うんです。

ならば、帰結するのは、いまここが、自分の内面を知る、浄化するという旅へのスタート……じゃないか、と。



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■霊性を知るということ。

にんげんは、世界と個人の対比でみると、あまりに小さい。

しかし、にんげんのイマジネーションは、はるか宇宙の果てまで広げられる。

ぼくらは、さまざまな世界的課題を、ガイアアセンションやフォトンベルトというタイミングを通して、ひとりひとりの内面的課題に置き換えることで、どう理解し、どう許し、どう自分のものにしていけるかを試されているのではないでしょうか。

そのとき、ぼくらが自分の小ささにあきらめ感を感じるのなら、ぼくらは、世界的支配者の思うつぼにはいっているのかもしれません。

抜け出そう。

そこから。

ぼくらが、はるかなイマジネーションで広がったり、心の中の広大なイマジネーションの部屋を探索したりすると、思いのほか、強靱なエネルギーと共振できるとか。

精神世界の本を読むと、いま、地球に増加する光のパワーのことを書いてあります。

さすがに、光のパワーと言われても、「なにこの野郎、トンデモなこといいやがって」と思うんですが、世界の現実に対するぼくの泣きそうな無力感からすると、光のパワーだって馬鹿にできないんです。

むしろ、あらゆることは、ぼくらひとりひとりを気づかせるために用意されてきた完全なるセッティングだと仮定するなら、光のパワーでも、霊性回復でも、アセンションでも、きっかけは何でもいいんです。

本来のにんげんがもつ無限のチカラが呼び覚まされるなら、なんだっていいのです。

その、根源的なところの理解、そこから世界的課題を見直し、読み解いていこうではないか。

そうすると、そこにあるのは、なにか?

たとえば遺伝子組み替えというテーマをひとつとっても、食料支配という「モノ」と「マネー」を通したにんげん支配の構造が見えてこないだろうか?

そして、にんげんが支配され、恐怖に操られるということの不安定さが見えてこないだろうか?

遺伝子組み替え食品の安全性に対する強烈な不安恐怖、訴訟という闘争状態に誘われる農民の恐怖感、農民同士の密告という疑心暗鬼と人間不信にさいなまれる恐怖感、ありとあらゆる不安・恐怖・不信感のデパートがここにあるわけです。

それが、思うつぼという名の「ドツボ」です。

関西人のみなさんは、「ドツボにはまる」というと分かるでしょう?

全国のみなさん、ドツボとは、野ツボだと思ってください。そのような場所にドボンと入り込まざるを得ないのです。それが、ぼくらの「操られた姿」です。

だから、霊性の回復が必要なのです。

ほんとうのぼくらを取り戻す必要があるのです。

ちなみに、今話題の…小泉、郵政民営化、総選挙、刺客、造反者、うんぬん。そんなことは、みんな寝言…。メディアが大声で報道しているつくりごとは、あえて、どうでもいいのです。きょうのところは、無視。本題に返って


人間という存在の本質はなにか?

本質は霊です。

幽霊の霊とおなじ。

いま、幽霊は夏休みのお化け屋敷で活躍しているはず?ですが、姿が見えないからコワイんです。でも、体をもっていないだけで、彼らもぼくらもおなじ「霊」なんです。(三次元に彷徨っているのはいただけないけどね。コラ、寄り道をしちゃいかんとあれほどいっただろうが!!)

そうすると、ぼくら人間は、いまの現世だけでなく、途方もない壮大な次元移動をしながら、途方もなくドラマチックな体験をしていることになります。

ぼくらの本質である霊、霊性には不可能はありません。

限界もない。生命の終わりもない。

そんなぼくらの霊性にとって、現世は素晴らしい葛藤のドラマをみせてくれるビッグステージです。

この世の中は、欲望と葛藤が渦巻き、ぼくらに夢と希望と愛の素晴らしさを、暗闇がスポットライトを照らすように、じつにコントラスト豊かに魅せてくれます。

ぼくらは主役です。

ぼくらは、自らを演じます。

ぼくらは、経験します。

そのすべてが、貴重な貴重な瞬間です。

そして、同時に、ぼくらはその現世での体験を、必要以上の不安や恐怖でだいなしにすることもあります。

そうなることが、支配者の思うつぼなわけです。

支配者は、ぼくらが困っていることからエネルギーを吸収します。うそみたいでしょ?でも、ぼくらでも、あるじゃん。ほら、他人の不幸は蜜の味・・・というあれ。あれを、支配者の中の支配者は、実地でやっているわけです。まぁ、彼らのことは知らなくったっていいけど。

でもって、ぼくらは、演じていることをまるでS席で観劇するお客様のように、自分の人生ドラマを見つめることもできます。

自分を見つめることで、この世界で起きていることが、じつに恐怖の暗闇と愛の光で織りなされた、すばらしい体験であることを「思い出す」ことができます。



ちなみに、ぼくは、なにかを変える反戦の闘士でもなければ、消費者運動の闘士でもありません。

ぼくは、むしろ、企業側の販促代理人です。

そうなのです。あっち側の人なのです。

ぼく自身が矛盾と葛藤のカタマリなのです。

あっち側であり、こっち側である。矛盾もいいとこです。


その自分という存在を、ぼくは愛しています。

そして、矛盾と葛藤を泣きたい気持ちで感じながら、それに流されることなく、見つめている自分を感じます。

そして、ぼくの本質は、演じているぼくではなく、見つめているぼくにあるという気がしています。

見つめているぼくは、「訴訟が怖くて名前出せない社」も世界支配者も農民も消費者の主婦も、すべての立場が理解できます。

泣きたいような葛藤と衝突のなかで、そろそろ、こんな茶番劇は幕を下ろしてもいいよね、なんて気がします。





さて、この世界のシナリオをお書きになった脚本家は、次の展開をどうなさるおつもりでしょうか?





つづく───



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